2010年 09月 15日
ゲイ・プライド(アタシ的に) |
それはゲイ・プライドといういわゆる「ゲイの祭典」とでも言うイベントが欧米や豪州などを中心に結構盛大に行われているわけですが、例えばシドニーなどは一般人も含めて世界中から観光客を集めるくらいの経済効果をもたらすものだったりします。カリフォルニアでは治安や風紀的?な配慮もあるのかないのか入場料をとるらしいんですね。5ドルくらいの寄付金レベルらしいですけど。そのことに対して、「ゲイ・プライド」という意味や意義からすると、広く一般市民に対してゲイの存在や偏見をなくすという趣旨に反するし、無料で誰でも気軽にイベントにアクセスするべきなのでは?そうでないと、「プライド」ではなく「フェア」や「フェスティバル」でしかないのでは?といったBさんの意見等々。
僕の立ち位置としてはAさんやBさんどちらがどうというかいうことではなくて、いずれにしてもそもそもゲイ・プライドには何だか違和感を感じている1人です。ゲイ・プライドがどんなものか知らない方も多いかと思いますが、きわどい下着1枚や半裸や場合によっては全裸、ものすごい化粧をしたり、仮装行列のようなものすごい衣装、、、、車のお立ち台で移動しながらムキムキマッチョな男たちが小さいビキニパンツや下着姿で腰を振りながら踊っていたり、、とか、大枠で説明するとそんな感じ。どうして裸になったり、化粧や仮装をしないといけないのか、どうしてそれがゲイというセクシャリティに対するプライドと言い切ってしまえるのか、そう思わざるをえません。勿論、これはゲイながら僕の個人的な価値観でもありますけど。これは、性差というより個人的な趣味のフェスティバルでしかなく、異性愛者のSM同好者が自分たちの存在を主張して、年に1回人前でプレイすることにも似ているように思います。現状のGay Prideはゲイの中でのそういう趣味の人たちのお祭りでしかなく、しかしそれを見た多くの人は「あれがゲイというものだ」という固定観念を持っていってしまう危険性を多分にはらんでいます。格好はともかくとして、嬉しそうに楽しそうにパフォーマンスをしている彼らを見ると、それはそれで「いいなあ」とは思うものの、それはゲイとしてではなく彼らを人間としてみた場合の一般論です。でも、仮に「お前もゲイなんだから参加して、裸になって化粧をして街を練り歩け」って言われたら、僕は泣いて許しを乞い参加を免じてもらうことでしょう。
僕はね、悪い意味ではなくゲイとしての誇りなんてちっとも持っていないし(卑屈にもなってない)、その感覚は多分ストレートの皆さんと同じ感覚だと思っています。「私は女の誇りがあるのよ」「俺が男の誇りが」そんなことを日常的に特別考えない感覚と一緒です。ただ、ゲイはストレートの男女と違って、さまざまに偏見や差別、あるいは人に言えずに孤独な面も多々ある中で、せめてプライドというよりは「ゲイであってもいいんだ」「ゲイは悪いことでも存在していけないものでもない」という確信だけは心の核には持った方がいいよな、とは思うんです。
ストレートの男女も様々であるようにゲイも様々で、マッチョもいれば、華奢なのも中肉中背も太めもいる。オネエとか女装趣味の人もいれば、僕のように人に告白すればある意味でドン引きされるくらい一般人~って感じのゲイもいる。ただ、そのゲイ・プライドはまるでゲイ全体を代表するかのような勢いになっていて、僕としてはある種うんざりなんです。どんなにゲイはストレートの人達と何ら変わりはないし、同じ人間として共に生きようよ!と叫んだところで、女装したマッチョや半裸や全裸で歩き回る人達を見て、訪れたストレートの人達は「ほんとに、僕らと何ら変わらないな~」なんて思うはずがないのです。どう見たって、言葉は悪いけど誰が見ても直感的には「クレイジー」なんです。そのクレイジーさが、本来の崇高な目的とは違うところで世間では興味や面白さという観点で人が集まってくる側面もあるわけで。
比喩は変かもしれないれど、女性の地位が低く差別をされていた時代に、女性が人権や選挙権を求めてフェロモンまき散らして、ミニスカートや下姿、胸を露わにして自分たちの存在を主張したりはしなかったはず。私たちは男たちと何ら変わりはない人間なんだということを主張するのに、むしろそんな「違い」を表現することに意味はなかったのです。
僕は、おもしろいいわゆるオカマキャラや女装趣味のゲイの人達を否定するつもりはないし、それは人間それぞれ多様性だと思ってます。ただ、プライドのようなものを見た世間の人々が「あれがゲイだ」という意識と先入観を持たれることが非常に困惑だと感じるのです。むしろ、スーツを着たサラリーマン、パン屋のカッコしたゲイ、清掃員のゲイ、学校の先生、、とか、街中で違和感なく暮らしている「え?この人もゲイ?」と思われるような、いわゆるおそらく一番人口の多い地味なゲイの存在を人々に知ってほしい。話をしても口調もオネエではないし、身のこなしもごくごく一般的な男、そんなゲイもいるんだってことを。もちろん、それだけではなくて、ストレート同様ゲイも多様で、オネエも女装もいろいろいるんだ、というスタンスでやってほしいと。まあ、そうなるとお祭り気分というよりは「デモ」みたいになってしまって、娯楽的要素をも追求する人たちにとっては退屈になってしまんでしょうけど、、、、
なんかね、、、人間本当に多様性に満ちていて、何かで1つを代表するってことはとかく難しいことではあるのだけれど、偏見は差別がある中で、さらなる誤解や偏見を生むようなことは、よくも悪くもで静かに暮らしている市井のゲイにとっては「お願いだから皆さん、プライドには行かないで」的な想いもあったりするんです。だって、引っ込み思案なゲイの男の子が、初めてゲイプライドを見て、「ああ、あんなに堂々としている!」ということに感動するかもしれないけれど、そのエロティックで奇異な格好を見て自分に誇りを持つことなんてあるのだろうかと思うのです。それはよく、日本の場合、子供が自分がホモだと言われたり、確信したときに、テレビで見たコメディーの気持ちの悪いホモ男などを脳裏に浮かべて、自分はアレと一緒なのか、、、と気落ちする感覚にも似ています。ゲイが主体のゲイの祭典が、ライフスタイルの違うほかのゲイへの視線に偏見や差別を生み出し、静かな生活や人々の視線を脅かすなんて、そもそも変な話です。
以前、ゲイのメディアの方とお会いした際に、僕自身が世間にカミングアウトをしていないということを先方が聞いた段階で、「まずはカミングアウトしてからでないと、意見する資格もないのでは?」といったようなスタンスをされ、ゲイの世界もカミングアウトありき、するべき、と考える人達とその他多くのひっそりゲイには、共通の「ゲイ」としての同胞意識もないのかな、と悲しく思ったことを思い出しました。まあ、僕のような意見はおそらくゲイ世界での一派閥というか、考え方の1つに過ぎません。しかし、確証はないまでも確かだと思えることは、僕のような一般社会の中で静かに暮らしているゲイが一番多いということ。例えば新宿2丁目などに代表されるリアルなゲイのコミュニティに顔を出しているゲイや、実際に様々なゲイとしての活動を社会の中で表立って行動しているゲイはごくごく一部でしかないということ。ゲイはそういうコミュニティのある都会にだけ存在しているわけでもないのです。「そういう隠れゲイの奴らも俺たちみたいに声を上げればいいじゃないか!活動すればいいじゃないか!」的な非難も勿論ありそうですけどね。
少なくとも、例えば今回アップした写真を眺めても、僕や栗助の生活と重なるもの、共感や何か心を揺り動かされるものは何1つとしてないのです。すごく遠い、知らない世界。ただ彼らも同じゲイであるということ。それは、ストレートの男性が、趣味性の高いアニメやアイドルのおっかけをやっている同じストレートの男達を見て「遠い世界だ」と思うのに似ています。
by usatoru
| 2010-09-15 18:53
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Comments(21)
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kyotachan at 2010-09-15 21:36
日本人ってひとりきりでいるとものすごく貧相で心細そうに見えるんだけど集団になるといきなり横着で騒がしくなるんですよね。集団になっても貧相なところは強調されるだけで緩和されなくて。観光地なのでそんなような集団に出会うことがあって「う、うわー!違うからー!わたしは違うからー!」て思わず叫んじゃうんです。こころの中で。そんな感じ?
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at 2010-09-15 22:34
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2010-09-15 23:38
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2010-09-16 00:00
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2010-09-16 00:01
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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sakanatowani
at 2010-09-16 00:44
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ヨーロッパの中規模の町に、マイノリティーのアジア人女性として暮らしています。文太さんがおっしゃってること、私が感じていることと似ているなと思いました。
ただ、ふつうの人間なんだよ。そう対応してほしい、そう暮らしていきたい。ただそれだけ。個人の個性のひとつとして、ゲイであったりストレートであったり、白人であったりアジア人であったり、文化が違っていたり、絵が上手だったり計算が得意だったりと、いろいろあるけどね。っていうふうな社会だったらなって思って暮らしてます。
私が以前、本当に仲がよかった人はゲイでした。ゲイだからではなくて、その人と話してて楽しかったから近い友人だったのです。別のゲイの人とだけで付き合う生活をしているゲイの知り合いは、ゲイのプライドが高い分、なんだか女性蔑視な人でした。その人と話していると、自分がただの女性というマーク(ブランド?)として扱われているようで、嫌な気持ちになって離れました。
アジア人、日本人に、ひとつの定形がないように、ゲイだって、定形はないですよね。私もゲイ・プライドは、なんか違うなって思って、見に行かないひとりです。
ただ、ふつうの人間なんだよ。そう対応してほしい、そう暮らしていきたい。ただそれだけ。個人の個性のひとつとして、ゲイであったりストレートであったり、白人であったりアジア人であったり、文化が違っていたり、絵が上手だったり計算が得意だったりと、いろいろあるけどね。っていうふうな社会だったらなって思って暮らしてます。
私が以前、本当に仲がよかった人はゲイでした。ゲイだからではなくて、その人と話してて楽しかったから近い友人だったのです。別のゲイの人とだけで付き合う生活をしているゲイの知り合いは、ゲイのプライドが高い分、なんだか女性蔑視な人でした。その人と話していると、自分がただの女性というマーク(ブランド?)として扱われているようで、嫌な気持ちになって離れました。
アジア人、日本人に、ひとつの定形がないように、ゲイだって、定形はないですよね。私もゲイ・プライドは、なんか違うなって思って、見に行かないひとりです。
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queenanneboy
at 2010-09-16 10:13
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わかります。NY時代にプライドパレードをみて、あの半裸に近い格好で町を練り歩いちゃう人と自分が一緒だとは思いたくない、と心のどこかで思っていた身としては。。。おっしゃるようにゲイとはなんぞやって、monolithicに定義できない以上、半裸に近い格好でパレードに出てる人たちが『ゲイ』のprototypeだと定義されちゃうと困りますよね。よくこちらの学校でsexual orientationのdiversityについて教えようとすると必ずと言っていいほど保護者から「自分の子供をゲイにする気か」と抗議の電話が来ると聞きますが、そういう親御さんの頭の中にはプライドパレードのイメージが「ゲイ」のイメージとしてあるのかもしれませんね。多様性って人類の本質のはずなのに、なぜか人間はシンプルな定義を好む傾向にあるため、なかなか多様な現実が理解されにくい。ヘンな矛盾の中で生きてますね。
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サルサ
at 2010-09-16 14:23
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サンフランシスコに住んでいる僕の感想。確かにプライドパレードの写真っていつも裸の若者やおじさんが、半裸で踊っている姿が多いけど、実際それは一部で、パレードの多くは、非営利団体の集まりだったり、たとえば、グーグルも今年のパレードに参加していたけど、皆同じTシャツを着てパレードをしているだけだった。子供を連れている、又は犬を連れている団体もあった。つまり、写真をブログ等で公表している写真がその手のものが多いというだけで、全てだというわけではないと思うんです。ゲイの趣向というものは、思った以上に広くて、自分が感じている価値観以上、または想像を超えたセクシュアリティーの集まりなんだということを、この地に住んで学びました。そして、そういった人たちを、自分とは違うと考えるのではなく、受け入れることを学ばなければ、僕達も、ゲイを差別している人たちと同じようなことを、自分たちの仲間でしていることになってしまう。だから、普通の人間のようなゲイもいれば、また別のゲイの人たちもいるわけで、こういう格好をしているから嫌だとはいえないような気がするんです。とても興味ある題材に感謝しています。
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at 2010-09-16 22:59
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
私はカリフォルニア在住なので、モールなどに出掛けると、同性同士のカップルをよく見かけます。
手をつないで歩いていたり、ペアルックだったり、キスしてる人も居るけど、私はなんとも思わず、通り過ぎてしまいます。
だって、彼(女)らにとっては、「恋人同士」の行為でしょう?
もちろん、存在や権利をアピールする意味では、いろんな活動や催し物も必要なんでしょうけど、私には、(生活観とはちょっと違う)ある「宣伝効果」のように見えてしまいます。
手をつないで歩いていたり、ペアルックだったり、キスしてる人も居るけど、私はなんとも思わず、通り過ぎてしまいます。
だって、彼(女)らにとっては、「恋人同士」の行為でしょう?
もちろん、存在や権利をアピールする意味では、いろんな活動や催し物も必要なんでしょうけど、私には、(生活観とはちょっと違う)ある「宣伝効果」のように見えてしまいます。
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D
at 2010-09-19 23:57
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大学卒業と同時にトロントに移り、そのまま13年経ってしまった者です。(多分同年代ではないでしょうか?)
会社の同じ部門にゲイ男性がいて長年親しくしているのですが、
彼も彼のパートナーもプライドパレード反対派です。
トロントでも毎夏、派手なパレードが開催されているのですが
彼ら曰く、ゲイの恥、フリークショウでしかない、とのこと。
彼らはToronto Gay Professinal Associationの発足人でもあり、ゲイであったても普通に社会に貢献している一市民であることを示そうとしています。
この友人のようにゲイであっても、普通に静かに平和に暮らしているカップルが沢山いますよね。そういう人達にとって、こういったパレードはゲイの奇怪な部分だけにスポットライトを当てられてしまい、世間に「ゲイとはこんな人達」という間違った考えを与えていると思います。
会社の同じ部門にゲイ男性がいて長年親しくしているのですが、
彼も彼のパートナーもプライドパレード反対派です。
トロントでも毎夏、派手なパレードが開催されているのですが
彼ら曰く、ゲイの恥、フリークショウでしかない、とのこと。
彼らはToronto Gay Professinal Associationの発足人でもあり、ゲイであったても普通に社会に貢献している一市民であることを示そうとしています。
この友人のようにゲイであっても、普通に静かに平和に暮らしているカップルが沢山いますよね。そういう人達にとって、こういったパレードはゲイの奇怪な部分だけにスポットライトを当てられてしまい、世間に「ゲイとはこんな人達」という間違った考えを与えていると思います。
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usatoru at 2010-09-25 01:26
kyotachanさん。まあ似てるとも言えるのかな?(^^; ステレオタイプに皆同じと思われてしまうことには「?」と思えることって多々ありますよね。
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usatoru at 2010-09-25 01:27
鍵コメMさん。母として当然の想いだと思いますよ。本人だけの問題でもないですもんね、こういうのって。決してそれぞれの趣味志向を否定するものではないですけど。
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usatoru at 2010-09-25 01:28
鍵コメRさん。そう嫌悪感とかじゃないんです。自分を省みたときの一種の違和感なんです。うん。
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usatoru at 2010-09-25 01:31
鍵コメHさん。はじめまして。そもそもゲイって自分を最初はネガティブとか否定から入るケースも少なくはないんですよね。いろいろな形や趣味ってあっていいんですけど、世間の眼にふれないものとふれるものとで先入観だけが先行してしまうと、結構悲しいケース、ありますよね。
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usatoru at 2010-09-25 01:33
sakanatowaniさん。はじめまして。そう、定型というものはないんです。でも、半ばそれが意識として世間の中で「定型」とされてしまう傾向はちょっと悲しかったりします。
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usatoru at 2010-09-25 01:35
queenanneboyさん。人は何か定型があった方が理解しやすいというか面倒くさくない部分って多々あるんだと思います。この問題に限らず、日常生活の中で他の部分で自分たちがそういうモノの見方をしないように気をつけたいものだとも思います。
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usatoru at 2010-09-25 01:37
サルサさん。有難うございます。僕も決して彼らがイヤだと言っているわけではなく、あくまでの世間があのパレードの出し物を見ている以上、そしてゲイパレードを実際に見る機会のある人が少ない以上はゲイ=奇抜で面白い、という図式は形成されてしまうことを危惧するんです、、うん。
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usatoru at 2010-09-25 01:38
鍵コメCさん。はじめまして。そうです、こういうのがあるんですよ~。実際ゲイプライドを見たことのある人は本当に少ないと思います。いずれにしても、とてもいいお母さんだと思います!(^^
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usatoru at 2010-09-25 01:40
miffy5769さん。もしかすると、ゲイ全体のことと考えずに、出演?する彼ら個人は自分自身を個人として自己主張している、と思えばる、ある種納得もできるけど、見た人は「あれがゲイ」と思ってしまう可能性大、、、難しいなあ。
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usatoru at 2010-09-25 01:42
Dさん。まあ考え方としては僕も彼らと一緒。でも、一応は全面否定というよりは、ゲイプライドのような人たちのことも決して否定はしないつもりです。趣味の世界だから。ただ、定型したイメージが社会に根付いてしまうことが悲しいというか(^^: