2011年 08月 07日
神宮花火大会 |
テレビをつけると、ちょうど青森のねぶた祭りの中継もやっていて、風通しがよい我が家では夜は冷房をつけずとも過ごせるので、開け放ったから窓から花火の打ち上げの音を聴きつつ、テレビながらにぎやかに「跳ねる」ねぶたの祭りの空気と笛の音や太鼓の音に、しばし日本の夏を感じた夜。
やっぱり例の震災後、人生観変わったことを自覚してます。
僕自身は震災での被災とか、あるいはその後の原発事故によるおそらく目には見えていないけれど「なにかが変わってしまった」この国や、事故現場にも近い東京という町で生きている中で、おそらく本来の天命よりも命も短くなったんだろうと漠然と思っています。そして多分、何かしかの発がん性の病気なんだろうなと。僕自身のことを言えば、被災して亡くなった方や、あるいは子供たちを考えればとにかく罰あたりな発言だと分かってはいるけれど、一般的な寿命のお折り返し地点を過ぎた人間としてという意味もあるし、いろんな意味や背景から自分の中に強い生への執着が全くないことを感じています。
「今」を大切に、そして有意義に生きよう、、、とは思いますね。「過去の楽しかった思い出だけで生きられるほど、人間強くはない」ある人の言葉が僕の胸に突き刺さりました。僕はもしかしたら、未来を見て歩いているようで実は過去の思い出の中でここ数年生きてきたんじゃないか、そんな風にも解釈できて。いずれにせよ、自分で避けられる辛さや孤独や寂しさといった感情は、自らが打ち破り果敢に切り開いていくことで、少しでも心が休まる暖かな気持ちになれるような時間を持ちたいと強く思うようになりました。きっと、幸せとか悲しみは、自分の心が決めること。だからこそ、僕は自分の心がストレスと感じることを排除して、リラックスした空気を自身にもたらすことで、ここ数年の孤独に終止符を打てるような気がしています。
夏の夜空を彩る花火。そして少し間を置いて聞こえてくるその音、、、その美しさと儚さは日本人の琴線に触れ、そして何か「思い出」とか、自分自身の人生の軌跡にも感じられます。
by usatoru
| 2011-08-07 02:16
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