2009年 04月 06日
春の夜に |

そもそも日常の自分が
ホンモノなのか仮の姿なのか
わかんないけれど
経験もしたことないことなのに
遠い昔の風景がすっごく懐かしくなって
なんだか泣きたいような
そんな感覚になることがあります
例えばテレビもラジオもない時代、
年寄りの話す昔話を囲炉裏を囲んで聞いた民話とか
野原を流れる小川でメダカを追う子供の姿とか
きっと僕の心の中の何かの原風景
僕の記憶そのものだったり
何かでインプットされた無邪気な子供の姿
幼少の僕は純粋だったし
そして知らなかった
自分が他と違うなんて
あるときにおぼろげに何かの真実を察した僕は
自分と向き合うことをやめ
自分が何者なのかということに封印し
多分無意識に
小さな体で頑張り続けてた
だから僕は
僕自身の記憶と同様に
経験したこともない素朴で柔らかな遠くの時間の中に
幸せな子供の姿を見るんじゃないかな
僕もいつしか子供ではなくなって
そしてとうに子供どころか若者でもなくなって
でもだからこそ
頑張らなくてもいいことで頑張ってた子供時代の反動が
ふと顔を出すのかもしれない
本来もっと無邪気でよかった僕
もっと子供らしくいてよかった僕
それでも僕はきっと救われたんだと思う
今は子供の僕が封印した蓋が半分開いていて
そこから新鮮な外の空気が
流れ込んできてる
そしてそんな僕の隣には
この季節の桜みたいな
柔らかな、
でも桜みたいに儚くはない
確かな輪郭を持った存在
だから泣くことなんかないわけだけど
でもやっぱり自分が歩いた時間は
既に変えようのない事実でもあって
哀しさじゃなくても
昔を振り返ると
微笑みながらも涙ぐんでしまうような
そんなこともある春の夜

by usatoru
| 2009-04-06 00:28
| 詩みたいなモノ
|
Comments(4)

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

涙ぐんでる子供時代の文太さんを見たら、
栗助さんは暖かく抱きしめてくれていたと思います。
そして、今の栗助さんのために、子供時代の文太さんは頑張ったんだと思います。
もし文太さんがストレートで、他の誰かと結婚していたら、
栗助さん、今頃涙ぐんでいますよ。桜を見て、一人でね。
この春の桜だって二人のために咲いてくれている、と思います。
栗助さんは暖かく抱きしめてくれていたと思います。
そして、今の栗助さんのために、子供時代の文太さんは頑張ったんだと思います。
もし文太さんがストレートで、他の誰かと結婚していたら、
栗助さん、今頃涙ぐんでいますよ。桜を見て、一人でね。
この春の桜だって二人のために咲いてくれている、と思います。
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鍵コメOさん。はじめまして、そして有難うございます。なんだかこういうのって僕もすごく嬉しいです。
TNさん。僕も逆にそうしてあげるような気がするし。(でも、栗助は泣いていないと思うんだけど<笑) 素敵な言葉を有難うございます。