2014年 02月 06日
佐村河内氏の騒動 |
まずは残念としか言いようがありません。純粋に詐欺にあった感じです。しかしながら、人間の弱さとか、あるいは虚栄心や存在の主張等々、特に全聾の彼のある種の心の闇や様々な葛藤という点にも意識が巡るのも確かです。彼のしたことは問題である許されることでないのは明白ですが、そのことは特に彼がこのことで有名になりあちこちのメディアでも取り上げられ、各地でコンサートを開き、そしてCDもクラシックとしては驚異的な枚数を売上、そして広島や東日本大震災での被災者の方、あるいは多くの日本人に感動と勇気を与えたという背景が、その問題を大きくしていると思います。「騙された」という感覚よりも、「傷ついた」という人の多さもまたこの事件の特徴。本来この手のことは、コトがコトならちょっとした「ウソ」で済んでしまう場合もなきにしも非ず。無名な作曲家で、しかも誰も興味も示さず世間で評価もされていなければ、事は周囲で収まり大事件にはならなかったでしょう。あるいは、例えばこうしたブログに掲載した画像がネット上での拾い画像だったとしても「自分で撮影した」と主張する小さなウソ。ウソと言えばかわいいですが、コトが大きいとこれが「詐欺」とか「犯罪行為」と言われてしまうわけです。本質的にはこの事件と同じことではあるのですが。
ところで、この「HIROSHIMA」という曲が人々に与えた感動や感銘は、曲としての音楽性ではなく、彼がベートーベンの如く全聾でありながら作曲をしているとされた背景に起因するのではないか、では、本質的な楽曲としてのこの曲は作曲者が別の人間と発覚したことで曲としての真価が問われるのではないか、という声があります。私見ですが、そのことに関しては僕はそれがイエスでもありノーであると思っています。音楽や絵画は物理的即物的なモノではなく。心、気持ち、叫び等々作り手のメッセージの込められた「魂」。これらを作り出した芸術の背景、その時の時代や社会、文化、あるいは画家や作家の生きざまや人生などなどを織り交ぜた上で、人々は「感じる」ものだと思うのです。
妙な例えですが、ヒトラーは実は画家を目指していたというのは有名な話です。仮にその画力が天性の素晴らしさを持っており、客観的に素晴らしい絵だったとしても、きっとそれを迫害を受けたユダヤ人たちは決して感動も共感も興味すらも持たないはずです。
ゴッホの波乱の人生において、どの時代に描かれたものなのかを思いめぐらしながらそれぞれの作品をみると、またその天性の才能と共にその作品の味わいと感動や想いも深くなります。
ベートーベンは確かに偉大な作曲家です。そしてやはり彼が全聾となり耳が聞こえない中で作曲を続けたという物語性の中で、その偉大性や感動をさらに大きくしているのは否めないでしょう。
美術や音楽といった芸術のアウトプットを、ただそのアウトプットだけで評価しようとか、あるいは評価できるというのは僕は「そうではない」と確信していて、そうであれば、コンピュータに計算させて作り出した造形や音階をつくりだせば、皆が感動し後世に残る偉大な作品が「工場」からいくらでも生まれるはずです。芸術は人が作り出す以上、その作品と作り手の持つ背景は切り離せないものだと思うのです。そして、芸術は人だからこそ生み出せるものだとも思うのです。
さて、この事件。賠償やらどうのと様々な展開を見せていくことと思いますが、それよりも今後、このHIROSHIMAという曲が、「新たな物語性」を付加された中で、どのように今後僕らの心や時代に添っていくのか、、、ということに、僕はむしろ興味があります。
HIROSHIMAも、曲としてのそもそもの評価は専門家の間でも賛否両論あるようです。しかしそれは何事もそういもので、ノーベル文学賞受賞者の顔ぶれであっても、それに賛否両論あるのが常。今回の一件で、このHIROSHIMAの持つ感動性の退化は少なからずあるかもしれません。それは、音楽というものが楽曲としての完成度と、それをとりまく様々な物語とのコラボでもあるからです。音だけを聞いてときに、その音階の「好き」「嫌い」はあるとは思うものの、そこに感動や共感といった心の振動を起こさせるにはやはりその背景を知ることが大きな作用を生む中で、今このHIROSHIMAが試されるのは楽曲としての完成度ではなく、この事件を機にどういった新しい物語を生みだせるか、ということかと思います。
by usatoru
| 2014-02-06 12:35
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Comments(2)
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ビクトリア
at 2014-02-07 00:59
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私はこの曲を聞いた事が有りませんが、この事がきっかけで今後演奏される機会が少なくなるとしたら大変に残念な事だと思います。
芸術は鑑賞する人があって成り立つ物だと思うので。作曲者や曲が作られた背景など知らずに、いきなり耳に飛び込んで素直に感動する事も有ると思います。
20代の頃はベートーヴェンよりショパン等が好きでした。カテゴリー4に属するようになって良く聴くのはベートーヴェン。全聾と言われていますが、難聴が進んだのは20代後半。それまでみっちりと音楽教育を受けているので、聞こえが悪くても音を自分の中で響かせるという事はできたのではないかと思います。あんなに好きだったショパンは甘ったるく感じて、どうして好きだったのか自分でも不明。年をとったという事なのでしょうか。そういえば最近は津軽三味線も好きだわ。
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at 2014-02-07 02:25
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