2014年 02月 25日
ニューデリー |
ここはインド。インドの日常には多分人間の本質が渦巻いていて、日本のように意識せずとも同質の社会で生まれ育っていると、この多様性こそが実は人間本来の姿であることをなかなか受け止めきれないというカルチャーショックを感じます。人間の織り成すカオスの中に身を置き、そこで汗の臭い、人の発する熱、騒音、色の洪水、叫び声やけたたましいクラクション、砂埃が容赦なく全身に襲いかかってくる。インドを歩くことは、ある意味整理された社会で忘れていた人間の本質との直面、あるいは生きるための日常を泳ぐこと、まさにそんな形容がふさわしい。
これは前回ニューデリーの中心地を歩いたときの経験ですが、歩いていると小さな子供が私の靴に何かの「糞」を投げつけた挙句、素知らぬふりで「靴が汚れているから自分に磨かせろ」と言ってくる。首都たる大都会ニューデリーのど真ん中で!まるで泥を塗られたように汚れてしまった靴は、普通であれば怒りの気持ちがあれど「被害者」はやむなく磨かせてきれいにさせるしかないというのが、これまでこの子が学んだ経験則な野ではないかと思われ、、、僕は「いいや、自分はこのままでいい」と言って彼を振りほどいてホテルに戻ったのです。僕の価値観でいう「卑劣な営業のやり方」に憤りを感じ、そうはさせまい!といった感情が勝ったといったところでしょうか。
とはいえ、「靴を磨かせるべきだったのかも」とも。彼は生きるために、僅かな日銭を稼ぐためにやり方は感心しないまでも自ら仕事をつくっていた。そういえば外国人の往来が多いその通りで、彼は母国語は勿論英語や中国語まで操って、靴磨きをさせろと「営業」していた。仕事を得るためのやり方の汚さは、あくまでもここでは日本人の価値観でしかなく、そして「生きるために必死」に生きたことのない僕らに小さな彼を非難する資格はあるのだろうかと思った。事の善悪も必要。だが、生きるための必要なことは極限の世界ではしたたかさや場合によっては犯罪なのか。勿論、この子のやり方はインド人の価値観でも一般には感心できるものではないだろうけれど、ただ底辺で生きる人たちの必死の営みに人はむしろ見て見ぬふりなのか、こうしたことが日常茶飯事なのかはわからないけれど、ある意味で受け入れているのかもしれず。
僕が初めてインドの地を踏んだのは思い返せば27年前。それ以来、多分今回で4度目だと思います。当時のインドは今よりさらに「凄まじかった」。ものすごいカルチャーショック、そしてバックパックでインド国内を巡り、ネパールに入ったのだけど、そのときはネパールがまるで「東洋のスイス」に思えるほどホッとしたのを覚えています。当時のネパールもまだ革命前の王国でどこかのんびりしていて、インドのようなカオスがなく、インドで無意識にも緊張の連続だった長旅で本当にほっとしたのだと思う。とはいえ、今はすっかり大人になった僕は、あの頃の僕とは比較にならないほど快適な旅をしているにもかかわらず、でもやはり何か緊張感を感じ、そしていろいろな意味でも精神の昂ぶりを感じるというか。僕にとって自らの人生や時間を重ね合わせ、やはりインドは哲学を想わずにはいられない国なのです。
by usatoru
| 2014-02-25 15:00
| 旅
|
Comments(4)
Commented
by
ビクトリア
at 2014-02-25 21:25
x
左下にベトナムが見えますね~。
0
Commented
by
JEY
at 2014-02-25 22:38
x
毎日愛読させていただいています。文太さんの感じ方、それを伝える言葉の適確さ、いつも感心しています。インドは私も熱中して歩きまわりました。物乞いにうっかりお金を上げると、何人も押し寄せて来て怖いので、どんなに付きまとわれても無視を通していました。でも、今日ここを読んで、生きるために必死な彼らに対して、私は冷淡な旅行者だったのかも、と思いました。インドは私たちの価値観を揺るがす国ですね。
Commented
at 2014-02-25 23:29
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
Reirin
at 2014-02-27 22:29
x
文太さんが子どもを振り払って帰られたのは、ちょっと意外!(笑)
まっとうな営業法を教えたかったんですね!
でも、そこの社会では、わかってはもらえないんでしょうね~。
お腹壊さないで、帰ってきてくださいね!
まっとうな営業法を教えたかったんですね!
でも、そこの社会では、わかってはもらえないんでしょうね~。
お腹壊さないで、帰ってきてくださいね!