2014年 04月 07日
遠い写真 |
なんか友人たちがすごい大人に感じます。実際会っている時とかは、女性とかと違ってあまり家庭の話しないし、「あ、そういやこいつこんな大きな子供がいたんだ」的な。父親って感じで接していないから、余計にそのギャップがあるわけです。
学校の校門で奥さん含めて3人で桜の花と共に映っている写真なんて、僕からするとまるでマダガスカルの写真でも見せられているくらい遠い・・・・(どんな例えだ!)子供さんが入学云々よりも、友人に対して「知らぬ間にこいつもすっかり大人になって、、」みたいな。
中高生にもなると、勿論親の目には子供でも自我も勿論確立していろいろ難しい年頃だとは思いつつ、こういう子育て経験をしていればきっと人間としての人生のあり方の深みとか、自分自身の「公私」の部分での価値観なども、僕のような実質独り身とは違うものであることは容易に察しがつきます。誰かのために生きるという充実感や喜びってヤツですかね。
カネ、いわゆる収入、年収、財テクに余念がなかったり、そういう観点で人生を考える人も少なくないけれど、ゲイって基本的に自分が元気であるうちには経済的に自立しているから生活するのは困らない。だけど、多くの人がどこかで満たされないのはやはりこうした家族や子育てというものを「機会」というよりも「生理的に」「生物学的に」できないという壁があるからなんでしょうね。要は、やっぱり人間の幸福はゲイに限らず「お金じゃないよ」ってことなんだと。勿論、そこそこないと困りますけど、お金も。
まあ、こうしたこの時期のフェイスブック現象や年賀状の家族写真等々、どこか悟りの境地もあり免疫はできていますけどね。若いゲイくんなどは、まだその若さゆえにどこかで「ダミー結婚」とかの野望というか、そうした呵責もあったりするということなんだと思うけど、迷いを生じさせるようです。まあ、野望というのは言いすぎにしろ、いわゆるバイセクシャルとか、ゲイだけど女性とも関係を持てるという類のゲイの場合。でも、まあそれはそれでカタチ的家族は持ててても本当の幸せはカタチじゃないってことも言いたいですけどね、僕は。そんなことを思う入学式の今日。
by usatoru
| 2014-04-07 12:59
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