2014年 07月 07日
トマト1つ。 |
そこでプランターに2株植えてあるミニトマト。2株あるのに全部で3つにしか実がなっていないんだけど、切実に自給しようという趣旨でもないし、それでもなんだか可愛いわけです。同じ環境のはずなのに、それぞれ大きさも色づきもまちまちで1つ一番大きなヤツ(といっても、ちょっと大きめのミニトマトという程度)が、あれよあれよという間に赤く熟してきました。他の2つはちょっと黄色みがかってきたのでこれから色づくことになりそう。
3つしかないトマト。しかもミニトマトだから、つまりは一口でパクッといけちゃうサイズ。これを眺めながら「そろそろ食べ頃かな」と思いつつ、美味しいのかどうかはわからないけれど、これを栗助に食べさせてあげたいって思った自分がいて、なんかこういうことがいわゆる愛なのかなあとふと思いました。
正直、愛なんて言葉はちょっと深すぎて適切じゃないと思うけど。ベタベタの恋愛感情とか愛とか恋みたいな瑞々しい感情は、お互いにとっくに遠い過去に置いてきた関係だけど(笑)、じゃあ何が愛情なのか?なんて言われると、正直「なんだろうね」なんて感じではありつつ、こういう些細なことがきっとソレなんだろうなあ、、、なんて。3つしかならなかったトマト。その最初に収穫された1つ目のトマトを食べさせてあげたい。そういう、高価なプレゼントとか、旅行に行くとかのイベントじゃなくて、日常の生活の中にある小さな出来事の中に大きく詰まった想いやりとか慈しみとか、喜ぶ顔が見たいとか、そしてそうすることで自分も嬉しいという気持ち。
とかなんとか言って、実際このトマトを栗助に食べさせても基本あまり世間で言われているようなゲイ的なセンシティブ性を持ち合わせていない栗助はパクリと平らげて「ごちそうさまー!」なんていう明るい一声で終わることも目に見えているんですけどね(笑)
どうせなら「違いがわかる男」に食べてもらいたいものだが(汗)。
でも違いがわかるハズなのにネスカフェが美味しいって言っちゃう男も微妙だけど。
by usatoru
| 2014-07-07 12:45
| 僕らのこと
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