2017年 03月 23日
想 |
元気だった友人の突然すぎる死は、改めて生きることの意味を考えさせられます。幼い子を残してこの世を去ることの無念や、まったく死を意識することもなく突然死んでしまうという不憫さの一方で、プロ級の腕前で大好きだったスノボーをやりながら、そして「即死」だったということは彼は苦しみを感じずにある意味で「幸せ」だったのかもしれない、なんてことも頭をかすめます。
諸行無常を感じつつ、若い彼の死を目の前にして「人はなぜ生きるのだろう」といった哲学的な想い。そうした永遠の問いに対して明確な答えはあるわけでもなく、多分生きているということは成すべき何かがあるのだろう、ということを漫然と思うことくらいしかできないのが現実。歴史に名を残すとか、そういうことでなくてもよくて、自分が生きたことで人に与えた大小の影響とか、あるいは彼の場合は子供を授かり次の時代に命を紡いだ。娘さんはまだ5歳、多分リアルな父親の顔は彼女の記憶からはなくなるだろうけれど、むしろ早くして死に別れた父親の存在は彼女にとって大きなものであるに違いなく。
いろんなことを考えると、ささやかでいいから身の丈にあった穏やかな暮らしができればきっと人生は幸せだろうなあ、と改めて思う。そして「普通」とか「平凡」であることの喜びや幸せを噛みしめらえる感性があれば。結婚をしている夫婦であれば、まさに結婚したての頃の一家を構えることの嬉しさとか、家族で食卓を囲む楽しさとか、そんなことが噛みしめることができ、そしてそれを持続できる気持ちが、きっと幸せな人生を送る秘訣なんだと思います。
by usatoru
| 2017-03-23 09:53
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Comments(2)
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おちみ
at 2017-03-23 11:12
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読ませて頂きながら、、うんうんと思う事ばかり、、
ささやかな幸せをひとつの形にしようともがき、諦め、諦めきれない自分の弱さとかこのままを受け入れれば良いのかとか、自分の生きてる意味を考えたりしていて、、
とてもステキな女性が癌と戦っているblogをみて、全くの他人の自分が代わってあげたいと思う程、自分の生きる意味というか生きがいを失いつつあって、、身の丈にあった穏やかの暮らし、持続する気持ち、歯がゆくても無理だと思いつつも諦めない穏やかなココロをもちたいと、支離滅裂だけど、、でも共感しています。
ささやかな幸せをひとつの形にしようともがき、諦め、諦めきれない自分の弱さとかこのままを受け入れれば良いのかとか、自分の生きてる意味を考えたりしていて、、
とてもステキな女性が癌と戦っているblogをみて、全くの他人の自分が代わってあげたいと思う程、自分の生きる意味というか生きがいを失いつつあって、、身の丈にあった穏やかの暮らし、持続する気持ち、歯がゆくても無理だと思いつつも諦めない穏やかなココロをもちたいと、支離滅裂だけど、、でも共感しています。
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usatoru at 2017-03-26 13:35
おちみさん。大切なことだけれど、考えたところでその真理は見えてくるものではなくて、だから結局自分がどんな生き方がしたいのか?ということを純粋に問いかけた結果を素直に見ることがきっと大切なことなんでしょうね。