2020年 10月 09日
年賀状は今年で最後。 |
それはそうと、そろそろお節料理の予約だの年賀状印刷だのってDMがポストに入るようになりました。年賀状もまあ近年はいろいろと議論があるけれど、僕は今年でやめようと思ってます。そんな難しく考えてどうのこうのっていうわけではないんだけれど、なんていうか、僕なりにやっぱり事務的に出している感覚は否めないし、なんか惰性のように年末の忙しい時期に「メンドクサイ~」と思いながら出していることに一体どんな意味があるのだろうかと。
まあ巷で言われているように、今は電話どころか(既に日本以外では電話も使われなくなってきているけど)ネットやSNSも普及して、しかも文字だけではなく映像配信でテレビ電話みたいなことも普通にできる世の中。以前より、かなり人と人の距離を縮める便利ツールは昔と比較にならない。もちろん、手書きの手紙だとかそういうのって情緒的には、こうしたデジタルツールなんかよりもずっと気持ちも心も温かくなるし存在意義自体はなくなったとは思ってないけれど。
要は、仲のいい人たちとはもうネットなんかでも普通に日常的につながっているのが実態。友達のような関係ではなかったり、日常的に会えるような感じではない旧友とか、目上の人とか、親戚だったりとかそういう人も勿論いるけれど、人よりも文章を書いたり文字を書いたりすることは苦ではない僕のような人間でさえ年賀状となると印刷をしてしまって、かつ数年前まではせめて宛名は自筆で書こうと思っていたけれど今や宛名も印刷。裏表とも印刷されて、裏面のちょっと空いたスペースに「ご無沙汰です。今年はこそ一緒に飲みましょう!」とか書いてるの、もうお互いに白々しいでしょ。そんな偏屈にはいちいち考えないけれど、なんかそういうのって社交辞令っていうか、もう話すネタも興味もなくて体のいい定型文だよねみたいな感覚じゃないかな、って正直思います。お互いにね。
僕ももう50歳をとうに超えているんですが、そんなにシビアに考えているわけではないにしてもこれからは自然体で仲の良い人や、これからもつながっていたいいなあと思える人とは、適宜普段の生活を通した1年間の生活の中で、時にメールしてみたり、電話してみたり、とか、そんな感じで自分のペースと気分でゆっくりと旧交を温められればいいかな、と。がつがつと「今後何かの役に立つかもしれないから」みたいな気持ちでネットワーキングの延長みたいなのも嫌だし。
とかいろいろ書きましたが。矛盾するようだけど、別に年賀状を目の敵にしているわけじゃなくて(笑)
ゆっくりとのんびりと生活をしていて、年の瀬も正月を控えて大掃除なんかもしながらとはいえ、一人一人の顔を想い浮かべながら年賀状を1枚1枚想いを込めて書く、、、みたいなことができるのであればいいけど、実際そんなんじゃないし。そして勿論、毎年届く年賀状はそれこそ味気ないのも多いけれど、結構しっかりとお手紙になっていたり、家族の写真とかを見ているのは僕も何気に楽しい。ああいうの来なくなっちゃうなあ、っていうのは寂しさもあるw。
あとは、、、まあこれも小さな要因の1つだけど、もうずっと今まで僕は個人の名前でしか年賀状出してない。栗助は勿論だけど、家族としての年賀状って出したことなくて、1つも僕の名前だけで、今やもう独身中年の年賀状を書き続けるのも嫌になったっていうのもあるかも。なんかカモフラージュに輪をかけているような気もするし、そんなん何十年もやってるといい加減もういいかなって。
ま、別に年賀状は僕はそんなこんなで今年で最後。SNSでつながっている人は「今年から出さないよ」と宣言をし、ネットでつながっていない人はには「今年で年賀状でのご挨拶は最後」と添える。あとは、そうはいっても、ネットでつながる環境や関係でもないながら年賀状は出しておこうかなあっていう人(年配とか親戚とかかな)には数枚書いたりはするだろうけれど。でも、なんか止めるって決めたら、純粋になんかすごく楽になったようなそんな気がしてしまうのは、僕もなかなかの現代人なんだなあって苦笑い。
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by usatoru
| 2020-10-09 16:26
| 自分のこと
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