2021年 05月 21日
LGBT差別に反対する僕の国。 |
このブログは何気にストレートの方の読者さんが多いゆえ、今国会で「LGBT理解増進法」の制定をめぐって攻防があったことを知る人は、あまり多くはないのではないかなあ、と思ったりするのですが、僕らLGBT側では、結構話題でしたけどね、当然。「理解増進」止まりで、うまく「そういうことにも取り組んでまっせ」という厭らしく自民党らしい、やる気もないのに一応やってる風を装う見せ方も相変わらずですが。(政治発言、ご容赦を)
「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学的に種の保存をしなければならずLGBTはそれに背くもの」なんて言葉を、党内で止めることも諫めることもできない政党が、そもそも「LGBT理解増進法」なんて制定するの、どう考えても無理でしょう。第一、「差別は許されない」ということに対してそもそも合意できないなんて、ちょっとどうかしてるとしか思えない。
とはいえ、僕もネット上のコメントを読んでいるだけに過ぎないけど、やはり結構な数でLGBT憎悪とか、すごくネガティブな存在として捉えられていたり、権利を主張するなみたいなことの言うヒトのなんと多いことか。まあ、そういう人がコメントを多く投稿するということもあるんだろうけど。一方で、当事者の僕ら(LGBT)は、もちろんゲイたちが集うSNSの中なんかでは、仲間内での議論やコメントは少なくないものの、こうした一般ニュースに対するLGBTとしてのコメントはとても少ない、、。これは、メンタリティとしていわゆるこういう一般メディア(特にネットメディア)で正当を発言したところでの圧倒的マイノリティであることと、当事者の発言がむしろ反対者などからの反発を招く心理メカニズムもわかっているんだろうなあ、と思うわけです。実際、僕もなんかもうバカバカしいのと、そして何より悲しいのでそこで発言する気力もない、、、でも、これじゃいけないわけですけど。アクティビストという言い方に他意はないけれど、活動をされているLGBTの方などは積極的に発信をされていて頭が下がる思いです。
世界80か国以上で性的マイノリティに関する差別を禁止する法律が整備されている中、二日本はもちろんそのようなものはなく、法整備状況もOECD加盟国においてワースト2です。こういことに限らず、世界にすごく遅れをとって(しかもお尻から数えた方がいいくらいの)後進性って、いつからこんな風になってしまったんだろう。
ゲイで生きているのも、正直疲れる世の中だと僕も歳を重ねて今更思います。昔よりはよくはなってるけれど、やっぱりずっと何十年もそうやってストレスの中で生きていると、気づかないふりや物事を流す術ばかりを身に着けて不感症的に生活するのが身について、自分自身が感覚がマヒしているようにも思います。星野源と新垣結衣の結婚も(おめでとう!)、あんな風に自然に発表できて、何の憂いも非難とか懸念とか差別なく受け入れる社会・世界があるって、ただただ眩しい。
ここで、ごく一部の理解者だけの狭義的な意味合いでしかない「サンフランシスコに住めば?」「◎◎の国ではそんなことないよ」なんていうちょい浅い応援メッセされると、また凹むのよね。それは「理解者とか無関心が多い社会」でしかないから。そこでも差別や殺人だって怒ってる。男女のカップルが、男女だからといって殺されたり差別されたりすることはないように、僕らもそんな社会にいつか生きてみたいと思うのです。
※日本ではあまり殺人に至るケースは少ないですが、欧米ではLGBTはよく殺人事件に巻き込まれます。
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by usatoru
| 2021-05-21 14:06
| 同性愛考・・・
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Comments(2)
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MM
at 2021-05-22 01:05
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ニューヨークに住んでいる日本人です。先日、アジア系差別に立ち向かう集会に初めて参加しました。こういう集会になると、演壇に立つ人々はアジる(古い言い方ですね、きっと:)ことになる訳です。議員にしても、アドボカシー団体の代表にしても、飛び入り参加するスピーカーにしても、みんなどこかで必ずアジる。怒りを内に秘めていてはいけない、声を今こそ上げる時だ!と会場(野外でしたよ)を鼓舞する。
声を上げないと、時には叫ばないと、声は届かない。日頃から感じています。職場でも、声が一番大きい奴が最後に勝つという場面に何度も遭遇します。しかしそれは、私にはとてもしんどい。それではいけないと思うんだけど、やっぱりシンドイ。
女性参政権にしても、同性婚にしても、声を大きく上げた先人のおかげで今がある。だから私たちも叫ばなくてはならない。そうは思うのだけど、叫ぶ役は誰かに任せて、私には何か別の方法はないのだろうかと思ったり。そう思う自分を甘いと思ったり。外から見たら、私は「不感症」に見えるのかもしれない。
今日のブログを拝読して、そんなことを今更ながら思いました。
声を上げないと、時には叫ばないと、声は届かない。日頃から感じています。職場でも、声が一番大きい奴が最後に勝つという場面に何度も遭遇します。しかしそれは、私にはとてもしんどい。それではいけないと思うんだけど、やっぱりシンドイ。
女性参政権にしても、同性婚にしても、声を大きく上げた先人のおかげで今がある。だから私たちも叫ばなくてはならない。そうは思うのだけど、叫ぶ役は誰かに任せて、私には何か別の方法はないのだろうかと思ったり。そう思う自分を甘いと思ったり。外から見たら、私は「不感症」に見えるのかもしれない。
今日のブログを拝読して、そんなことを今更ながら思いました。
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by
usatoru at 2021-06-10 17:28
MMさん。それぞれの立場や考え方でのアプローチでいいと思うんですよね。全員が立ち上がりデモをしたりする必要もないけれど、それぞれが「何かしか」の活動をすることが大切なんだと思ってます。僕で言えば、こんなブログを書いて「ゲイもストレートも何ら変わらない」ということを表現したり、時に街中で手をつないだり、なんていうのもある種の活動かと(^^ 無力であってはいけないけれど微力もおおいに使うべきだなあって思います^^