2007年 06月 12日
ローマ教皇に問う。 |
最近は日本でも時々(実は)起こってますが、現状でも法的人権は整備されたとはいえ欧米ではホモ・ファビア(同性愛嫌悪者)によるゲイへの暴力や殺人はいまだに珍しくないですし、そしてそれこそ過去にも第二次対戦中のアウシュビッツでは、ユダヤ人だけではなく、多くの同性愛者が捕らえられガス室でその命を絶たれました。
・・・・・バチカンのローマ教皇ベネディクト16世が「反同性愛デモ(フォモファビアのデモ)を歓迎する」というAP通信のニュースを目にしました。イタリアで同性婚や男女の事実婚に夫婦と同様の権利を認める法案(同性婚を認めるということではなくて)に対して反対する勢力が行ったデモに対しての応援、、ということらしいです。「このデモはイタリアの伝統的家族の形が以前として根付いている」とか言っちゃってるらしい。
カソリックの総本山ゆえに、ある意味で驚きはありません。しかし一方で、非常に残念でもあります。教会の影響力が薄いとはいえ、同じカソリックの国でもフランスはPACSというパートナーシップ制度を整備し、スペインは同性婚を法制化しています。キリスト教って、よく「愛」がどうのこうのっていう教義をしてませんでしたっけ?愛の本質に立ち返ったとき、家族というものの本当の本質に立ち返ったとき、教会の見解はやはりこうなってしまうんでしょうか。
キリスト教において、同性愛はさておき、そもそも「女性」も蔑むべき汚れた存在としてローマ教会は教義してきた紛れもない事実があります。そして、元来の原始キリスト教から、ローマ帝国の国教となった段階で、支配者にとって扱いやすい宗教解釈に書き換えられたという指摘もあります。教会の言う「伝統的家族」とは、「愛」という本来無垢で純粋な言葉を、政治的に利用して、その裏で「男と女が結婚し、女たちがたくさんの子供を産む社会の根幹となるシステム」と言っているような気さえします。
宗教は、そもそも人間が生きていく上で誰しもが感じる孤独や不安、寂しさ、悔い、恐れという内在的な要因を「信仰」によって昇華させ、思い悩みながらも人々が明日も生きていくための一歩を踏み出すための「力」に他ならないはず。そんなとき、愛する人と共に生活をすること、共に励ましあい、高めあうことに、何のマイナス要因があるのでしょう。では、キリスト教の従来の家族たるものの基本機能が子孫繁栄マシンであったことを思えば、子供を持たない夫婦を教会は否定できるのでしょうか。
人の歴史はキリスト教が存在する前からあったものです。ヨーロッパが、ゼウスを中心とした多神教や自然崇拝の時代だった昔、同性愛はマイノリティであっても迫害や差別を受けるものではありませんでした。ローマ教皇の言う「伝統的家族」とは、自分達の教義やキリスト教が誕生した以降の時系列だけの話であって、人間の本質や人類の歴史を考えたとき、本当の「伝統的家族」とは"人が人として互いを慈しみ、必要とし、愛し合い、そして幸せも苦難も共に乗り越える強い絆で結ばれた関係"、それこそが伝統的なのだと思うのです。
そして、無宗教で神仏をに対する信仰はない僕ではあるけれど、栗助と一緒に生活していて思うのは、僕らの背後にはいつも亡くなった「栗助のおばあちゃん」が見守ってくれているようには思うんです。きっとそれが僕にとっての「宗教」なのかもしれません。
教皇に僕はおうかがいしたい、愛って何ですか?
人間にとって一番必要なものって何ですか?
※教皇の見解が、立場ある人なだけに哀しいですね・・・
そして、熱心なカソリック信者の中にも多くの同性愛者がいることを思うと、僕はすごくいたたまれない気がします
by usatoru
| 2007-06-12 00:39
| 同性愛考・・・
|
Comments(24)
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alexsea at 2007-06-12 01:57
バチカンは宗教と政治が結びついた最たるものですからねぇ…。信仰心自体は美しいものだと思うんだけど、それに力関係がついてしまうととたんに怖いモノになっちゃう気がして。同性愛のことについてはキリストは一言も触れてないと聞きました。聖書には書いてあるけど、同じLeviticusの章には「ウロコのある魚しか食べてはいけない」という項があって、それじゃカニやエビが大好きな僕はそれだけで罪人なのかって感じで。
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俺は、クリスチャンの方にとても親切にしてもらったことがあります。
なんで、彼女がやってた宗教が、そういう教えだったと知って・・・ショックです。
カトリックで立場のある方が、ゲイが暴力に晒されてる事実を知っていて(知っているべきなのに)そのような発言を公にするのは許されないと思います。
立場上、教えに忠実である必要があるのは分かりますけど、でも、もう少し人権意識を持って欲しいです。
なんで、彼女がやってた宗教が、そういう教えだったと知って・・・ショックです。
カトリックで立場のある方が、ゲイが暴力に晒されてる事実を知っていて(知っているべきなのに)そのような発言を公にするのは許されないと思います。
立場上、教えに忠実である必要があるのは分かりますけど、でも、もう少し人権意識を持って欲しいです。
↑でalexseaさんがおっしゃっているように、私も教会は政治であって、信仰とは別のものとして理解していかないと、つじつまが合わなくなると思います。非常に哀しいですが、それが現実だと思うのです。
だからと言って、教皇の発言にはまったく納得がいきません。やはりいくらなんでもこの発言はまずいでしょう。あまりに影響力がある地位にいる人が公に言う言葉ではないと思います。
歴史上、いろいろな差別をされてきた人たちがその権利を勝ち取ったように、早くゲイの権利も認められることを祈ります。私は、もうかなりゴールに近いところまで来ているような気がするのですけれど。もちろん場所にもよりますが…。
先日自分のブログでもモスクワ・プライドの事件と、イタリアのバーリで司教がゲイの男の子に聖体拝領拒否した話を書いたばかりなので、buntaさん時間があったら是非読みにいらっしゃってください。
だからと言って、教皇の発言にはまったく納得がいきません。やはりいくらなんでもこの発言はまずいでしょう。あまりに影響力がある地位にいる人が公に言う言葉ではないと思います。
歴史上、いろいろな差別をされてきた人たちがその権利を勝ち取ったように、早くゲイの権利も認められることを祈ります。私は、もうかなりゴールに近いところまで来ているような気がするのですけれど。もちろん場所にもよりますが…。
先日自分のブログでもモスクワ・プライドの事件と、イタリアのバーリで司教がゲイの男の子に聖体拝領拒否した話を書いたばかりなので、buntaさん時間があったら是非読みにいらっしゃってください。
突然ですが こちらのブラックジョークの漫画サウスパークってご存知ですか?http://southparkstudios.com/
あるエピソードで宗教間争いが今のほとんどの戦争を導いているみたいな話があって あるとき無宗教者が教えを開いて全世界が無宗教なったそうです。それでもやっぱり 無宗教者の間で 無宗教をどうやって呼ぶかについてやっぱり世界的な争いが起こる~♪というもの・・・
この番組&文太さんの日記を読んで、人間ってのは自分の主張や権利を守るためには 自分と違ったものや弱い立場のものを踏みにじる本能が多くの人において備わっているのかな~?なんて思いました
将来たとえ同性愛者が世間に受け入れられても どこかでほかの差別、侮蔑が繰り返されるのでしょうか・・・
あるエピソードで宗教間争いが今のほとんどの戦争を導いているみたいな話があって あるとき無宗教者が教えを開いて全世界が無宗教なったそうです。それでもやっぱり 無宗教者の間で 無宗教をどうやって呼ぶかについてやっぱり世界的な争いが起こる~♪というもの・・・
この番組&文太さんの日記を読んで、人間ってのは自分の主張や権利を守るためには 自分と違ったものや弱い立場のものを踏みにじる本能が多くの人において備わっているのかな~?なんて思いました
将来たとえ同性愛者が世間に受け入れられても どこかでほかの差別、侮蔑が繰り返されるのでしょうか・・・
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lotusmama at 2007-06-12 08:23
おっ、今日はシリアスなトピックですね。 私もカトリックのポープだけならず、クリスチァンファンディメンタリストのゲイに対するスタンスにはかなりがっかり感じてます。 愛を唱えたキリストなら、絶対こういうゲイに対する差別はしなかったように思えて仕方がありません。 バイブルだって”誰か”が都合のいいように解釈された物ですし、、、まあどの宗教でも矛盾は存在しますよね。 ただそれを政治的な理由で、色々な人をブレインワッシュするのに腹が立ちます! (まあ、ブレインワッシュされる方もほうだけどさ)
私も無宗教ではありますが(自分一人でNAOISMを初めNAOISTしてます)、神のような存在を信じないわけではないし、たとえそれが仏であれ、キリストであれ、海であれ、ユニヴァースであれ、周りの生き物、環境を平等に愛せるようになればまた世の中も変わるのではと思います。
栗助さんのおばあちゃま素敵な人ですね。 じ〜んときました。
日本では残念ながら、ジョニーディップ(風)とブルースリー(風)のカップルがダックスフンドの散歩をしている姿はお見かけ出来ませんでした。
私も無宗教ではありますが(自分一人でNAOISMを初めNAOISTしてます)、神のような存在を信じないわけではないし、たとえそれが仏であれ、キリストであれ、海であれ、ユニヴァースであれ、周りの生き物、環境を平等に愛せるようになればまた世の中も変わるのではと思います。
栗助さんのおばあちゃま素敵な人ですね。 じ〜んときました。
日本では残念ながら、ジョニーディップ(風)とブルースリー(風)のカップルがダックスフンドの散歩をしている姿はお見かけ出来ませんでした。
文太さん、はじめまして。いつも楽しく読ませていただいています。
バチカンは、同性愛についてもそうなんですが、エイズ予防のためのコンドーム使用にも拒否を続けているのは有名な話ですよね。そのために、どれだけの防がれるべきエイズ感染が防げなかったのか。。
ただ、封建・伝統・規律で固められてきたカトリック教会にとって、この時代の変化のスピードにあわせて変貌していくことが難しいのも容易に想像できます。時間はかかるかもしれませんが、わたしは少しずつでも変わってくると思っています。天動説は受け入れられたし、魔女狩りなんていうものもなくなったじゃないですか。
教皇がどうコメントしたところで、幸いなことに現代の私たちは自分の信念を妨害されるなんてことがないですからね。1世紀前のヨーロッパだったら、私なんかとっくに牢屋行きだったんじゃないかしら。笑
バチカンは、同性愛についてもそうなんですが、エイズ予防のためのコンドーム使用にも拒否を続けているのは有名な話ですよね。そのために、どれだけの防がれるべきエイズ感染が防げなかったのか。。
ただ、封建・伝統・規律で固められてきたカトリック教会にとって、この時代の変化のスピードにあわせて変貌していくことが難しいのも容易に想像できます。時間はかかるかもしれませんが、わたしは少しずつでも変わってくると思っています。天動説は受け入れられたし、魔女狩りなんていうものもなくなったじゃないですか。
教皇がどうコメントしたところで、幸いなことに現代の私たちは自分の信念を妨害されるなんてことがないですからね。1世紀前のヨーロッパだったら、私なんかとっくに牢屋行きだったんじゃないかしら。笑
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at 2007-06-12 15:55
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
うん、確かに。こういうバチカンの姿勢も、まだまだカソリック社会であるイタリアで私達ファミリーが無宗教でいる要因の一つだったりするんですよね。先日も結婚をしているファミリー限定の「ファミリー・デイ」というちょっと?な集会がローマで開かれました。結婚をしていなかったらファミリーじゃないのかい?と突っ込みたくなるような集会。まだまだ遅れています(っていうかバチカンはずっと変わらないのかも知れませんね)。
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Neige
at 2007-06-12 17:04
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私も日本に居る頃はLGBT問題に関して無関心なほうでした。でも米国に来てカトリックに限らず福音派のキリスト教一部の人々が”宗教の教えにに基づく正統的な理由で”としてあからさまに表現するゲイフォビア、嫌悪感を目の当たりにする内に私の中でメラメラ(!)と闘志感が芽生えたんです。このとてつもなく理不尽な偏見に立ち向かうために何かをしなくっちゃいけないんじゃないか!と。で、微力ですがいろいろなグループで運動をするようになりました。
文太さんもご存知だと思いますが米国では現在ゲイはHate Crime Prevention Actの保護の対象外なのです。つい先月もサウスキャロライナ州で二十歳のゲイ男性がHate Crimeの被害者となり殺害されました。今私たちのグループは今、上院にLGBTにも保護権を広げる法令を通す運動をしています。下院では最近圧倒的な勝利でパスしました。今までLGBTがなぜ対象外だったかは不思議な限りですが、宗教的な圧力もあったのでしょうか?今はバチカンの退歩的なコメントで影響されるような時代でなくなっていると思いますが。
あっ、あと余談ですが今月末、シカゴゲイプライド主催の10キロレースに参加して走ってきます。応援してて下さいね~。
文太さんもご存知だと思いますが米国では現在ゲイはHate Crime Prevention Actの保護の対象外なのです。つい先月もサウスキャロライナ州で二十歳のゲイ男性がHate Crimeの被害者となり殺害されました。今私たちのグループは今、上院にLGBTにも保護権を広げる法令を通す運動をしています。下院では最近圧倒的な勝利でパスしました。今までLGBTがなぜ対象外だったかは不思議な限りですが、宗教的な圧力もあったのでしょうか?今はバチカンの退歩的なコメントで影響されるような時代でなくなっていると思いますが。
あっ、あと余談ですが今月末、シカゴゲイプライド主催の10キロレースに参加して走ってきます。応援してて下さいね~。
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Jacqueline
at 2007-06-12 21:37
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前のローマ法王は人格者だったと聞いていますが、今の方に決まった時、周囲で「色々と厳しくなるだろう」と言われるのを耳にしました。前々から、かなり保守的ということで知られていた方のようです。
バチカンやカトリック教会は、同性愛者や同棲婚への反対の立場だけではなく、最近、妊娠中絶の法律を認可したメキシコ政府の政治家たちを破門にしたり、イタリアでは中絶の法律は存在するけど、教会関係者の判断で、ある病院では数週間~数ヶ月中絶手術が決行されなかったり…と、色々介入してますね。
>「女性」も蔑むべき汚れた存在
ということ、教会の内部のバルコニー席?について、昔は女性は下の席でミサに参加することができず、なるべく祭壇に遠いところにいなければならなかった旨を友人から聞き、知りました。
アウシュビッツで、同性愛者も迫害されていたのは初耳でしたが、イスラム圏の国(全部かは不明ですが)では、いまだに同性愛者分かっただけで死刑になるような国が存在する事実を知り、衝撃を受けました。
それぞれの宗教が、人の支えとなるべきはずのものなのに、人を支配する権力のために利用されているところが問題ですね。
バチカンやカトリック教会は、同性愛者や同棲婚への反対の立場だけではなく、最近、妊娠中絶の法律を認可したメキシコ政府の政治家たちを破門にしたり、イタリアでは中絶の法律は存在するけど、教会関係者の判断で、ある病院では数週間~数ヶ月中絶手術が決行されなかったり…と、色々介入してますね。
>「女性」も蔑むべき汚れた存在
ということ、教会の内部のバルコニー席?について、昔は女性は下の席でミサに参加することができず、なるべく祭壇に遠いところにいなければならなかった旨を友人から聞き、知りました。
アウシュビッツで、同性愛者も迫害されていたのは初耳でしたが、イスラム圏の国(全部かは不明ですが)では、いまだに同性愛者分かっただけで死刑になるような国が存在する事実を知り、衝撃を受けました。
それぞれの宗教が、人の支えとなるべきはずのものなのに、人を支配する権力のために利用されているところが問題ですね。
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usatoru at 2007-06-12 21:49
alexseaさん。そうそう、要はローマ帝国がキリスト教を国教とした段階でかなり大きくその形の大きく変わったんじゃないかと思います。支配者が利用しやすい解釈に。旧約聖書もやはり同じく鱗のない魚は、、って書いてあります。現にユダヤ教の人たちはいまだにイカ、タコ、海老は食べないですけどねえ。。。
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usatoru at 2007-06-12 21:51
ジュンセイさん。いやいや、ちょっとハヤトチリですよ~。まあ、そういう教義とか教会に意向はあるとはいえ、結局は聖書の解釈とか歴史に翻弄される中で変わってきてもいるんでね。信仰を持つ人たちそのものには、そのこととはある程度距離を置いて考えていいと思いますよ(^^
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usatoru at 2007-06-12 21:55
macoromさん。バチカンは特殊な社会ですからねえ。アメリカなどはヨーロッパなどよりよほどキリスト教に根付いた生活をしている人が(特に田舎では)多くて、日曜日などは皆教会に行くんですが、ゆえに人によってはゲイバッシングに走る人もいたり。結局は人それぞれの価値観と考え方でしかないんですよね。
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usatoru at 2007-06-12 21:58
J-SFOさん。実際人間の歴史は「自分の神こそ強い」というような意思の下に、そこに政治を絡ませて領土拡大や奴隷の確保に努めたわけですよねえ。結局価値観の押し付け。動物は利己主義的な種が残るという生物学での法則があるっていいます。人間もきっと。。。いつまでも差別という意識がなくなることはないんでしょう。そしてその末裔は利己主義な人たち・・・なんだかねえ(^^;
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usatoru at 2007-06-12 22:02
TLJGさん。はじめまして。きっと時代とともに変わるということは宗教家にとってはナンセンスなのかもしれないですよね。でも確かに少しずつ自身も変わってきてはいて。でも、コペルニクスも、魔女狩りの時代も、ものすごい人たちが犠牲になった上で今があると思うと、、、僕らゲイはまだまだ「いけにえ」がいるのかなあ??(汗)
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usatoru at 2007-06-12 22:04
Mさん。そうなんですか、キリスト教を専攻されてたんですか。
僕はある意味ニュートラルに見てますけど、勉強をした上でもなお否定的に考えるということは、それなりの見解があったってことなんだと思います。うーん、まあ欧州にいると普通に差別を受けることはよくありますもんね、アジア人とか日本人とか(^^;
僕はある意味ニュートラルに見てますけど、勉強をした上でもなお否定的に考えるということは、それなりの見解があったってことなんだと思います。うーん、まあ欧州にいると普通に差別を受けることはよくありますもんね、アジア人とか日本人とか(^^;
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usatoru at 2007-06-12 22:07
chihoさん。そうですかーお膝元で無宗教(笑)。でも、その環境であれば宗教は目の前に広がる山であり、森や林であり・・・・要は自然の中に神様がいると信じるのが自然に思えるんじゃないかと思います。結局、何かを信仰するという気持ちは、それぞれの人の心の中なんじゃないかって思うんです。
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usatoru at 2007-06-12 22:09
Neigeさん。応援してますよー、沿道で手を振る僕がいると思って頑張ってください~。でも、Neigeさんのような方の存在ってすごく嬉しいですよね。理解してくれる方はもちろん、活動にまで参加してもらい・・だって当事者である僕でさえ、ブログを書くだけで何も活動なんてしていないんですから。恥ずかしい限りです。
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usatoru at 2007-06-12 22:13
Jacquelineさん。確かに前のヨハネ・パウロ2世よりは今の方は保守的だということは言われていて、それはある意味これら一連の発言も驚くに値しないんですけどね。そう、いまだに同性愛者が死刑になる国はありますし、実はヨーロッパでさえ、つい最近までソドミー法という「同性愛は犯罪」という法律を持った国がいくつかあったんですよ、ほんと、数年前まで。僕も、、自分のことだし、なんだか淋しいですけどね。
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poko
at 2007-06-13 09:46
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教皇がこんな発言をしていたとは。私はカトリック信者ではあるけれど、愛の形は寧ろ多様であるべきだと感じている。
信者の中にも色々なタイプがあって『カトリック信者』と一括りには出来ない。 毎週教会に行こうが、心の中で祈っていようが、ポーズだけであろうが信者に変わりはない。
かつてのヴァチカンが聖書を纏める作業の中で不都合な部分は削除。 どうりで閉鎖的な筈だと、至極合点。
人間のアイデンティティは、成長過程で浸ってきた文化や思想を基に形成され、確立する。 その間に肌で感じたものが刷り込まれる。
そこに差別的な「何か」が無ければ『差別』と云う概念さえも存在しえない。全てが自然に在る事として認識できるのだろうに。
私が育った家には仏壇があり、神棚があり、十字架があった。
墓参りに行き教会も行く。新年はミサに行き、お寺で御札を買う。
そこに矛盾はないと思う。どの神が本物、唯一神て事ではないと思う。
色々な人間が様々な容姿をもってこの世に存在している。
愛の形が様々であることに、何の不思議があるんだろう。。。
信者の中にも色々なタイプがあって『カトリック信者』と一括りには出来ない。 毎週教会に行こうが、心の中で祈っていようが、ポーズだけであろうが信者に変わりはない。
かつてのヴァチカンが聖書を纏める作業の中で不都合な部分は削除。 どうりで閉鎖的な筈だと、至極合点。
人間のアイデンティティは、成長過程で浸ってきた文化や思想を基に形成され、確立する。 その間に肌で感じたものが刷り込まれる。
そこに差別的な「何か」が無ければ『差別』と云う概念さえも存在しえない。全てが自然に在る事として認識できるのだろうに。
私が育った家には仏壇があり、神棚があり、十字架があった。
墓参りに行き教会も行く。新年はミサに行き、お寺で御札を買う。
そこに矛盾はないと思う。どの神が本物、唯一神て事ではないと思う。
色々な人間が様々な容姿をもってこの世に存在している。
愛の形が様々であることに、何の不思議があるんだろう。。。
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ヴィッキー
at 2007-06-16 14:56
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もしもキリストが今ここにいたら・・・というたとえがありますが、おそらく彼はすべての人間を愛した「人」でしたでしょうし全世界をも包むくらいの大きな心の持ち主でしたでしょうから、今の教会の意見に異議を唱えるんじゃないかと私は思うんですけどね。キリストはなんのこだわりもなくすべての人を愛したと私は信じてます。いつから同性愛はいけない、みたいな教義(私には後世の人間が作った狭義に思えるんですが)ができたんでしょうね・・・以上、生後まもなくから一応カトリックをやっている「蔑むべき汚れた存在者」でしたぁ。
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usatoru at 2007-06-17 00:06
pokoさん。世の中Diversityであるわけですよね、結局。いろんな価値観が存在している中で、宗教も文化も、、、それぞれ自分を確立しつつも許容することを人間学ばないと、いつまでたっても、、、って思いますけど、これも1つの性なのでしょうね、人間の(^^; そう、愛の形も愛しかただって人それぞれなわけですしね。
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usatoru at 2007-06-17 00:08
ヴィッキーさん。時間と社会がモノの本質は変えていくというのは宗教に限らず、いろんな局面であることなんでしょうね。栗助もカソリック(それこそ先祖代々)ですけど、ぜんぜんそんなことしったこっちゃないって感じですけどね(笑) 心の拠り所は結局は人それぞれが自分の中で確立するもので、その1つの手助けを宗教が担っているとでも言うのかな。
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ぺこちゃん
at 2007-06-17 01:05
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今日はRomaでゲイ・パレードがあったんですね。Barbara ollastriniが集会に参加し、スピーチしたのでRAIではトップニュースになっているようです。
今のローマ法王がなんと発言しようとヨーロッパではもはや効力はなく、お膝元のイタリアでも(いきなり結婚OKというわけではないようですが)すでに勝敗はついているのではないかと思います。
同性愛者を切り捨てるばかりでなく、フィリピンなどでコンドームの使用を禁止し、無責任に貧困層を増加させているカトリック教会。愛も寛容も二の次となり、政治的権力の維持拡大に執着しているようにですね。こんなことしてるとますます信者の教会離v加速していくだけ?
今のローマ法王がなんと発言しようとヨーロッパではもはや効力はなく、お膝元のイタリアでも(いきなり結婚OKというわけではないようですが)すでに勝敗はついているのではないかと思います。
同性愛者を切り捨てるばかりでなく、フィリピンなどでコンドームの使用を禁止し、無責任に貧困層を増加させているカトリック教会。愛も寛容も二の次となり、政治的権力の維持拡大に執着しているようにですね。こんなことしてるとますます信者の教会離v加速していくだけ?