2022年 05月 12日
安らかに。 |

芸能人の自死というのは、客観的にはキラキラとした芸能界に対して(まあ裏側のドロドロはおいといて)、自死という対極にある事件はいろんな意味でも僕も身につまされます。
実際、人間というのは多面的な生き物です。そして芸能人というのも単なる職業でしかない。そして、僕も元来は自覚としては決して性根は明るい人間じゃないので(笑)、きっと僕を知る周囲の人間と僕自身が知る自分の間には大きなギャップがあるものと思います。まあ、ギャップというか、その面を人は知らないだけの話ではあるんですけど。それに、そういう多面性というのは誰しもが持っているものあって、逆に僕が見たこともない友人知人の姿とか思考みたいなものも当然あるのだと思います。人間って誰しもが陰陽の二面があって、そしてどうしても陽を求めてしまうけれど、結局は陰陽の二項対立ではなくて陰陽それぞれを含めて「自分」なんですよね。だからこそ、潔癖かつ完全性を求める人は自分にある「陰」を許せなくなってしまう。でも、それってすごく不幸。陰陽ひっくるめて自分が形成されていることはやはり知るべきだし、それを認めないとやっぱり苦しい。
僕の場合は、やはり自分がゲイとして生まれ生きてきたことは少なからず何等かの精神的かつ後天的な作用があると思います。強がったり、知らないふりをしたり、気づかないふりをしたり、忘れたふりをしたり、嘘をついたり、、、そんなこの繰り返しが何十年も続く中で、いつしかそうすること自体が日常になって、それが僕の人格の一部にもなっていて。でも決して、そうしたことの積み重なったオリは、いつしか何かの拍子にはじけてしまうこともあるのかもしれないな、なんて思うのです。それが例えば渡辺さんや上島さんなど、頑張ってきた人たちに起こったのかな、と。
芸能界で生き抜くこと、そして絶えず世間の目に晒されながら生きる生活や自分自身の仕事上のキャラクター。そんな中で60代まで頑張ってきて、やはりふと疲れを感じたり、あるいは空しさとか、、、「本当の自分って何なんだろう」それらが大きな悲しみや絶望として彼らを襲ったとしても、僕はそれはわかる気がします。自死を肯定するという意味ではなくてね。合掌。

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by usatoru
| 2022-05-12 10:29
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Comments(2)